こんにちは。
イチノセ ハヤト(@HAYABOW_1)です。
心理学がとても好きです。
かれこれ10年くらい毎日長い距離を電車に乗って過ごすなか、不思議に思うことを人間の心理的な観点から解決すべくこの記事を書きます。
電車で少し混雑してくると、乗り降りしにくいという状況は、まぁ考えられますが・・・。
「ちょ・・・そこ、どいてくれないと降りれないです(汗)」
という状況って経験したことないですか?
私はもう慣れっこなので「よいしょ~!」っと間をがんばって抜けるのですが、満員電車に乗るようになって間もない頃は、ドア付近にできる「壁」によく戸惑ったものです。
しかし上記のような人の内面にも単に「無頓着」以外の、ある「心理」があるんです。
こんな方におすすめ
- 電車のなかでどいてくれない人に困っている。
- 電車のなかで道をあけてくれないひとの心理を知りたい。
- 電車のなか、入口付近で人の流れに踏ん張ってる人の心理を知りたい。
- 混雑した電車内での乗客心理が気になる。
-Contents-
本人は「どいた」と思っている話。
あなたが電車で乗り降りしようとするとき。
通路を塞ぎぎみのあの人が、そこを通ろうとしている私のことを「チラッ」っと見た気がするけど・・・ぜんぜん通してくれる気配がない。。
もちろん、その人が無神経であることも十分に考えられます。
しかしそれを“人間の心理”という視点から見ればさまざまな理由が考えられます。
まずここでは、観察していていちばん多いと考えられる心理についてご紹介します。
電車のなかに「シングルタスク」と「マルチタスク」を見る。
みなさんは、「シングルタスク」「マルチタスク」という単語をきいたことがありますか。
簡単に言うと一つの事に集中するタイプか、複数のことを同時並行でできるタイプかということですね。
実際、オフィスのなかで「あいつはシングルタスクだな」という時には・・・
悪く言えば:一度にひとつのことしかできない。同時進行できなくて使えない。
良く言えば:ひとつに集中するとすごい能力を発揮する。
のように使われることが多いですね。
そしてこれらのことは電車のなかにも見ることができます。
では、みなさんが混雑した電車のド真ん中に乗っているところを想像してください。
混雑した電車のなかで
つり革につかまってしばらくすると、電車はある大きい駅に到着。あなたは降りない駅ですが、たくさんの人が降りる場所です。
電車のドアが開くと、近くにいた人が「降りま~す」と言う。同時に目の前のイスに座っていた人が立ち上がろうとしてくるけど、うしろにいる人は別の人を通している。脇に退こうとしても人がいっぱい。さぁどうしようか・・・。
まぁ、満員電車ではよくあることですね。
さて、このようなとき。
「シングルタスク」の人と「マルチタスク」の人の、それぞれの心理、そして考え方をそれぞれ見てみましょう。
「シングルタスクの人」の思考回路と心理
・まずは目の前の座ってる人を通してあげよう。
・そしたら隣のおばあさんに席は譲ってあげよう。
・おばあさんが退いたスペースに身体をよけよう。
・そしたら「降りま~す」の人が通れるかな。
・そういえばうしろにいる人ジャマだな。
・誰かを通してるみたいだからちょっと待ってみよう。
・あれ、この人も降りたそうにしてるみたい。
・でもあっちの脇はすでに人がたくさん。
・じゃあなるべく体を端に寄せたら通れるかな。
・あれ、まだこっちに降りる人いるの?
・もぉ~なんで早く降りないの。
「マルチタスク的に考える人」の思考回路
・こっち側にいる人たち複数と目の前の人は降りたそうだけど後ろはドン詰まってるし、
あっち側には退けそうにないから、とりあえず一旦私は降りてみんなを通してからまた乗るようにした方が早いな。
・いったんおりる。
このように、マルチタスク的な考えをする人は1度に周りのいろんな状況を察知し、どうすることがいちばん良いのかを一瞬で読み取ります。
「あっちを通して、終わったらこっち。。」
という”順番的”な思考よりも行動としては早いですよね。
さて今後、あなたが混雑した電車に乗るとき。
大きな駅でたくさんの人が降りる際にうまく「パパッ」と動くのではなく「あっちを通して」そして他の人からぶつかられながらも一旦降りようとはせず前、後ろ・・・
のように1回ずつ順番に壁を作りながらよけている人を見かけたら・・・
電車のなかでこその「パーソナルスペース」の感覚が”ジャマ”しています。
みなさんは「パーソナルスペース」という言葉をきいたことがありますか。
「パーソナルスペース」
他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリア、対人距離とも呼ばれる。一般に、親密な相手ほどパーソナルスペースは狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、逆に敵視している相手に対しては広い。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぁ、相手によって変わるとしても自分が許容できる、人が近づいてもストレスに感じない距離のスペースのことですね。
通常「パーソナルスペース」というと、人のまわりを囲むように大小の丸い形に広がっています。
もちろん電車の中でも基本的には同じスペース感覚ではあるのですが・・・
混雑した電車のなかではすこしだけ、ちがうんです。
おわかりでしょうか。
そう、自分の「視界のスペース」がそのままパーソナルスペース化しているんですね。
ふつうの道を歩くときのように”まわりに人がいない前提”ではなく、混雑した電車のなかで”人が近くにたくさんいる前提”、つまり
「パーソナルスペースなんて、とうに侵害されまくっとるわ!」
という心理になってしまっているため、自分の視界部分だけがパーソナルスペース化してしまうような現象が起きているんですね。
「まぁ目の前にすっごく近い人がいなければいいや」となるわけです。
そう考えたときにどうなるか。
こうなります。
混雑した電車のなかという状況で、人のパーソナルスペースがほぼ「視界に入るところだけ」となってしまったら。
そうなると自分が見えない場所で起こることに対しては、特に危険が迫ってないかぎり注意を払わなくなるという心理状態になります。
特に車内の通路が顕著ですね。
うしろで通りたい人がいても窓に向いている人にとってはうしろはあまり関係なく、通路にいた人は向いている方向によって注意を払わなくなる。
そして上述した「シングルタスク思考」により”人を通す順番”の優先順位が下と見なされれば・・・そこには「人の壁」ができあがります。。
「物」に対してはパーソナルスペースを感じにくい。
電車のなかでよく、たくさん何か詰まっているリュックを背負ったままであったり、大きな荷物を床にデーン!と置いて通行のジャマになっても平気な顔をしている人、いますよね。
じつはそれ、「物に対して人はパーソナルスペースを感じにくいから」であると考えられます。
上述したように、人のまわりには"パーソナルスペース"という、近づかれるとストレスに感じる領域があるという話をしました。
しかし、その人が持っている「モノ」にはさほど意識するようなスペースを感じないんです。
特に日本は外国とくらべて平和であるという意識が高く、よほど自分の荷物に誰かが触れようとしないかぎり防犯面での心配が低くなる傾向も。
ですので、上記したように自分のパーソナルスペース以外の場所で起こることには無頓着になりがちなんですね。
つまり本人としてはもちろん荷物がジャマをしているという認識は薄く、むしろ気づかない事も多いものです。
ですのでたまに車内で
怒る人:「荷物ジャマだよ!」
言われた人「チッ!(にらむ)」
のような険悪な雰囲気になってしまうのを見かけることがありますが、荷物の所有者としてはよほど“ジャマになると考えられるような物”を意識して持っていない限り気づきにくいことなんですね。
なので次にそういう方を見つけたら「あ、気づいてないのか」と考えて、温かい目で・・・
いや、ムリですね。笑
電車のなか。人の激流のなかなぜか踏ん張っている人の心理を分析。
混雑した電車のなか。
できるかぎり自分の落ち着く位置を取ることができたら、そこから動きたくない気持ちはわかります。
ただ・・・
これまでよく見かけることがあったのが、入り口付近などでたくさんの人がおりるなか、頑として流れに反して踏ん張っている人。
「いったん降りる」などの行動に移すことができず、がんばっている人がいますよね。
「いったん降りる」という思考をしなくなったある男性の話。
私、過去に一度だけ「踏ん張る理由」を話している人の会話が聞こえてきたことがあるんです。
その時、2人組の大学生くらいの男性が混雑した電車のなか、ある大きな駅で入口のすこし端寄りの付近で、人の波に逆らうように踏ん張って降りないのを目撃しました。
私は「あぁ、またいるなぁ。」くらいに思い、流れがおさまったあと私がたまたまその二人組の近くのつり革につかまっていたところ。
その二人から聞こえてきた会話は、まぁいろいろ話していましたがおよそ下記の内容でした。
二人組の男性の話
過去に車内の人の激流にのって一旦降りたとき、その流れの強さから扉付近に留まれず、遠くまで(待っている人の列のうしろのほうまで)流された。
そして再度電車に乗ろうとしたら、あろうことか満員になって自分は乗れなかった。
本人の言葉からしかわからないので一概にその人が悪いと断定はできませんが。。自業自得なのは変わりありませんね。
過去のそんなイヤな経験をしてから人の流れに踏ん張るようになった“トラウマ”パターンです。
「少しふんばっておけばこの流れは絶える」と考えている人
電車を降りる人、逆に乗ってくる人の流れのなかで踏ん張る人には、一種の「執念」が見えますね。
まわりの人も「理解しがたい」という表情をしながら降りていく人もいます。
しかしそれを心理的な観点から見ると単なる執念の他、このように分析することができます。
「”満員電車とはこういうものだ”と、深く認識している。」
ポイント
つまり"ひたすら耐えるのが満員(混雑した)電車というものだ"と、本人の「認識」として固着してしまっている考えであるために、文字通りひたすら「耐えて」いるんです。
・・・という心境ですね。
なので次にそういう方を見つけたら「あ、この人はがんばって耐えてるんだな。」と考えて、どうか温かい目で・・・
いや、ムリですね。(2回目)
本人としては「みんな自分のことしか考えずに強引に降りていく」という認識です。
たくさんの人の流れを身体に受けながら、そして冷たい目で睨まれながもそれに耐える精神というのは確実にふつうの人よりも強いと感じますよね。
しかし、上述したような「耐えている」人ばかりではないんです。
どういう事かというと、耐えているように見えて本人としては
「みんなジャマそうにして行くけど、人が多いし仕方ないよなっ」
という、ある意味開き直った思考。
つまり「自分が通行のジャマになってしまっている」のではなく、逆に「降りたい人たちはみんな自己チューだから、我先にとおれに当たりながら強引に降りて行く。」という思考ですね。
流れがおさまった後の"ポジション"を狙っています。
上記のような”ジャマになっている人”が一通り人の流れに耐えたあとの行動を観察することで「なるほどな」と思ったこと。
それは「良いポジションを狙っている」ということ。
人の流れにじっと耐える、もしくは逆流しながら一通り流れがおさまったあと。
その人の行動を見ていると下記のようなことが多いですね。
ポイント
・すぐにドア横の寄っかかれる場所に移動
→楽ちんな態勢で満員電車を乗り切る。
・降りる&乗ってくる人の流れにも耐えた後に、ドア付近に寄っかかる
→次の駅でそのドアが開いていちばんに降りる。
・降りる&乗ってくる人の流れにも耐えた後に、つり革を死守。
→つり革のない不安定な場所に流されたくなかった。
なんかこう見ると・・・
その人が頑としてその場所を動かない、もしくは人の流れに耐えてでもタイミングを見計らって自分がいちばん優先したいポジションを守る・移動することを狙ってるんだな、ということがちょっと見えてきますよね。
さいごに。電車の中はふとした瞬間に性格がでるもの。
私は学生の頃から今までほぼ毎日、電車に乗っているのでいろんな人をみかけます。
でもそんな中でもやはり「乗り降りする人のジャマになっている人」というのはどんな時間帯でもいるなぁと。
・・・しかし。
「無頓着とは言えなぜこうもジャマしてしまうんだろう」
「本人はどんな思いなんだろう」
と考えたときに別の視点、つまり心理的な事から考えてみるとこの記事に書いたような事がすこしずつ見えてきたんです。
電車のなかひとつ「なんでかな」と思ったことを別の視点から見てみることで新たな発見があるかもしれません。
電車のなかの心理。こちらもオススメです。
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